第4章
裏方たちのメリークリスマス 



7

 

 公演終了後は、出演者と全スタッフが最低限の後始末だけをして、食堂で打ち上げパーティーを行うことになっている。公演の疲れをここで吹き飛ばし、本格的な片づけは翌日に行う。これは、大帝国劇場が帝国歌劇団の専用劇場だからできることだった。

 それでも、終演後がもっとも忙しくなる売店組は、打ち上げに遅れて合流することになってしまった。

 好は椿だけを先に行かせ、事務室に立ち寄って手製の道具箱を持ち出した。これが今日最後の大仕事をするための道具である。

 好が道具箱を手に食堂に入ると、彼女の相棒が待ち構えていた。

「……遅いぞ」

 黒子姿からスーツに着替えた小見正廉が、両手に持っていたグラスのうち、左手に持っていた方を差し出した。その左手にだけ、黒い皮の手袋がはめられている。

 好がグラスを受け取りながらそれに目を留めると、凄みのある三白眼が揺らめいた。

「雪組時代に派手な火傷をした傷跡が残っている。人にはあまり見せたくないんでな」

 そして、話題を変えるように前方を顎で示した。

 そこには舞台と呼ぶには小さいが、お立ち台とも呼べないほどには大きい、二畳ほどの小上がりがあった。主演の大役を務めたマリアがいつもの黒いコート姿で中央に、その傍らに司会役のかすみが、私服の洋装でハンドマイクを持って立っていた。

「……それでは、本公演【奇跡の鐘】で主演の聖母役を演じられましたマリアさんに、乾杯の音頭をとっていただきましょう。マリアさん、お願いします」

 かすみからマイクを受け取ったマリアが、興奮を秘めた口調で切り出した。

「皆様……本日は誠にありがとうございました。出演者・スタッフ皆様のおかげで、公演を成功させることができました。改めて、この場で深く御礼を申し上げます。では……クリスマス公演【奇跡の鐘】の大成功を祝して!」

 マリアがグラスを掲げると、全員が唱和する。

「かんぱーい!」

 小上がりに一番近い花組の円卓では、出演者が口々に演出家をねぎらっていた。

「大神さん! 本当にお疲れさま!」

「ありがとう。いま、すごく感動してる……」

 さくらに二杯目のビールをつがれながら、大神が頬を紅潮させて感激する。

「今年を締めくくるにふさわしい、本当に素晴らしい舞台でしたわ」

 こと舞台に関しては厳しいすみれも、今日ばかりは手放しで皆の仕事をほめたたえた。

 打ち上げのもう一つの目的について言及したのは紅蘭だった。

「それに、今日はレニの誕生日やったんやて! ええことは続くもんやな!」

「それじゃ、みんないくよー! レーニ……」

「お誕生日、おめでとう!」

 アイリスの呼びかけに続いて、席に戻ったマリアも含めた花組一同が、レニにお祝いの言葉を贈った。

 十六歳になったばかりのレニは最初きょとんとしていたが、やがて喜びを噛みしめるようにはにかんだ笑みを見せた。

「みんな……ありがとう。こんなお祝いをしてもらったのは……初めてだ」

 花組の中で、レニともっともつきあいの長い織姫が、よかったね、と彼女にウインクしてから楽しげに人差し指を立てた。

「そして、もう一つ。聖しこの夜……クリスマスをお祝いして……」

「メリー・クリスマス!」

 華やかなメリークリスマスの唱和に、乾杯直後ですでに三〜四杯は空けたであろう米田とかえでが、嬉々として割り込む。

「いやあ、楽しい舞台だった! 大成功だ!! さあ、打ち上げだ!」

「よかったら、私たちもお仲間に入れてもらおうかしら」

「支配人に、かえでさん! さあ、どうぞどうぞ」

 大神が、椅子をずらして二人が入る場所を作りながら、にこやかに答える。若い裏方がすぐに椅子を持ってきて二人に勧めた。

 席に着いた米田が、一同を慈愛の目で見渡した。

「帝都の人々を守るのが帝国華撃団の仕事ならば……帝都の人々に夢を与えるのが花組のもう一つの姿……帝国歌劇団の仕事だ。みんな、今日は本当によくやってくれた」

「米田支配人……」

 公演成功の感激冷めやらぬ大神が声を詰まらせた直後、米田がビールを一息に空けて呵々大笑した。

「どうせ、舞台がはねた後は興奮してるからなぁ。体は疲れてても眠れねえもんだ。思いっきり騒いじまえ!」

「よっしゃあ! みんな、今夜は朝まで大騒ぎしようぜ!」

「おーっ!」

 カンナがローストチキンの足を片手に声を張り上げると、花組の盛り上がりは最高潮に達した。


 数メートル後方でその光景を見つめていた好は、隣にいた小見に小突かれて我に返った。

「おい、そろそろだぞ」

「ああ、そうでした」

 足下の道具箱を開けて、中身をざっと確認する。大丈夫、ぬかりはない。かすみがマイクを持って小上がりに向かうのを横目に、好たちもそちらに向かった。

 かすみが、小上がりから一同に呼びかける。

「今日は、少し早いのですが、ここでスタッフ有志の皆さんに、余興を披露していただこうと思います。トップバッターは、小道具係の小見さんと事務局の好さんによる、バルーン・アート・パフォーマンスです。どうぞ!」

 小見とともに小上がりに上がった好は、ぎこちない愛想笑いを浮かべて彼の足下に控えた。

「皆さん、今年最後の公演お疲れさまでした。聞くところによりますと、今日、十二月二十四日は、レニさんのお誕生日だそうですね。そこで、我々からもお祝いに花束などを贈呈したいと思います」

 話しながら手を差し出す小見に青と緑の風船を渡すと、彼はどこからともなく器用にハンドポンプを取り出してそれを膨らませ始めた。青い風船を手早くひねって作り上げた六つの節を、巧みに組み合わせて花を作る。それを緑色の風船で作った茎につなげ、ものの三十秒でチューリップが完成した。それを頭上に掲げてもう一言付け加える。

「自慢じゃありませんが、私は花やしきで『最速のハンドポンプ』と呼ばれておりました」

 小見のこの言葉に、大神がなぜか盛大にむせ返った。

 好は花組に気遣われる大神を横目に見ながら、自分も風船で青いチューリップを作る。さすがに小見ほどの速度では無理だが、彼が三本の花と赤いリボンを作っている間に、二本の花をどうにか作り上げた。

 それら、合計五本の青いチューリップを、小見が赤いリボンを模した風船で束ねた。そして、かすみの手回しで小上がりに上がってきていたレニの元にひざまづき、芝居っ気たっぷりに花束を捧げる。

「お誕生日おめでとうございます、レニさん。貴女の次の一年が、この花束のように美しいものでありますように」

 歯の浮きそうな台詞に、後ろで聞いていた好がひゃあ、と赤面したが、当のレニはそれにはあまり頓着しない様子で微笑んでいた。

「……ありがとう、小見さん。でもこれ、どうすればいいのかな」

「風船細工は生花と同じです。数日部屋にお飾りいただいて、しぼんだらお捨てになってもかまいませんよ」

 それを聞いて安心したのか、レニは幸せそうに笑みを深めた。

「うん……」

 レニが風船の花束を大切そうに抱えて席に戻ると、アイリスが目を輝かせて花束と小見を見比べて言った。

「すっご〜い。よかったねぇ、レニ! ねえねえおじちゃん、アイリスにも何か作ってよ」

「では、アイリスさんには黄色いチューリップをお作りしましょう」

 言うが早いか、小見はあっという間に黄色いチューリップを作り上げてアイリスに手渡した。

「うわあ……ありがとう、おじちゃん!」

 はちきれんばかりの笑顔で大喜びするアイリス。

 すると、それに刺激されたか花組の面々が口々に小見に風船細工をねだり始めた。

「小見さん、すげえな! あたいにも赤いの作ってくれよ」

「まったく、カンナさんったらまだまだお子様なんですから……わたくしには優雅な紫色のを頼みますわ」

「そーゆーすみれはんかて、ちゃっかり頼んでますやんか。けど……うちの色やと、つぼみになってまうしなぁ。どないしょう」

「斑入りの風船もあるそうよ、紅蘭。小見さん、桜色のチューリップってできますか?」

「さっくらさんのよりも濃い、ローズピンクの風船もあるんでしょーね?」

「心配いらないよ、織姫くん。小見さんはこういう準備に抜かりのない人だから。じゃあ、俺も……白いので……」

 大神の声が一瞬だけ、消え入るほどに小さくなったが、すぐさま何事もなかったように戻された。

「マリア、君はいらないのかい?」

「私は……黒いチューリップというのも無理がありますし……」

「ありますよ。黒じゃないけどそれっぽい色」

 後込みするマリアに、好がダークレーズン色の風船を掲げて見せた。

 そうして結局、小見と好で手分けして花組全員分のチューリップを作ることになったのだった。

 大神の分とマリアの分を真っ先に作ってくれた小見の気遣いに内心で感謝しつつ、好はカンナ・紅蘭・織姫の三人にチューリップを手渡し、二人の出し物は成功のうちに終わった。


 脱力して戻ってきた好を、四つ目健吉がねぎらった。

「少尉殿、お疲れさまでした。やっと、今日の仕事を全部終えられましたな」

「……本当に。小見さんと組めたのは、四つ目さんの助言のおかげです。その節はありがとうございました」

「小見ばかりが目立っていたのは癪ですが、少尉殿の助けになったのであればようございました」

「……恐縮です」

 入隊当初から嫌味ばかりだった四つ目に優しくされることに、好はまだ慣れていない。将校と下士官としてなら当然の距離感がここではどうにもくすぐったくて、つい口ごもってしまう。

 そこへ……

♪ちゃんちゃちゃっちゃっちゃ〜ん ちゃんちゃかちゃっちゃっちゃ〜ん

 と、どこかで聞いたことがある出囃子が流れてきてずっこけそうになった。

 注意深く聞いてみると、それは帝国華撃団の隊歌である「檄! 帝国華撃団」を出囃子にアレンジしたものだと好にもわかった。

 前方では、高坂行真がハンドマイクを持って出囃子を本物そっくりに「歌いながら」小上がりに登場するところであった。

 高坂はハンドマイクをマイクスタンドに立て、深々と一礼してから直立不動の姿勢で話し始めた。

「小道具係の高坂行真と申します。静岡生まれの巴里育ち、今年日本に帰国したばかりの十七歳です。どうぞよろしくお願いいたします」

 そこへ、「よっ、高坂!」と合いの手が入る。

「え〜……帝劇に入りましてから、仕事の参考にといろいろな舞台芸能を休日に見て歩くようになりました。その中でも、私が一番感銘を受けたのが、落語というものでした。察するに、あれは一人芝居の一種であろうと思われるのですが、特別な衣装も舞台装置もなく、噺家の演技だけで本当にその場にいるような気にさせる、大変高度なものだと気づいてすっかり魅せられてしまったのです」

 高坂は今、おそらく落語でいうマクラの部分をやっているものと思われる。それが、直立不動のまま報告でもするようなくそ真面目な表情と口調なので、内容とは別の部分でじわじわと笑いを誘われる。

「また、落語をやっている寄席では、色物と称して曲芸や歌などが演じられることがあります。その中で唯一、自分にもできそうだと思えるものがありました。それは、声帯模写です」

(きたきた……!)

 高坂の声帯模写を聞いたことのある好は、そのフリでぐっと前のめりになった。

 ぷしゅーっ!

 甲高い蒸気音の後に、暖気中のような低いエンジン音。そこへかぶせられるように、押し殺した感じの笑い声が入れ替わる。

「ふっふっふっふっふ……ついに完成したでえ〜! これが、ウチの大発明『いれかえくん改』や!」

♪ぱぱぱぱっぱぱぁ〜ん!

 紛れもなく紅蘭の声に金管のファンファーレに聞こえるが、これを高坂が一人で演じているのである。その彼が演じる大神の声が、律儀に尋ねる。

「いいっ!? いれかえくんって……あの『いれかえくん』かい?」

「そや。二人の人格を入れ替える、『いれかえくん』を小型・軽量化。安全性を重視して機能を絞った結果……なんと!」

「なんと?」

「二人の声だけを入れ替える『いれかえくん改』になったんやー」

「声だけって……要するに、ただのボイスチェンジャーだよね?」

「まあそうとも言うなあ」

「それ、何か役に立つの?」

「大神はん、古人曰く『ものは使いよう』や。学生さんにはごっつう便利やで。これ一台で、二十人分の完璧な代返ができるんやからな」

「つまり、二十人分の声色を記憶できる……と。でもさすがに二十人が一気に減ったら普通にバレるよね」

 大神本人よりも的確なツッコミを入れる高坂の演技に見入っていると、声を潜めて好を呼ぶ者があった。

「斎藤さん、どうかしたんですか」

 衣装係の斎藤泰生が、名刺サイズの機械を手の中からちらりと見せた。

「隊長から好さん宛に、キネマトロン通信が入っています。衣装部屋に置いてあるので出てください」

「……了解」

 高坂の出し物に後ろ髪を引かれつつも、好は食堂をそっと抜け出した。


「寒っ……」

 食堂を出るなり、好は身震いをした。声に伴って出た息は白い。中との温度差に、人の熱気というものは本当に熱そのものでもあるのだと、彼女は不思議な気持ちになった。

 好が歩いただけ、パーティーの喧噪は遠くなる。それにつれて、自然と気持ちも冷えていった。

 本当は、あんな華やかな場ではしゃげる気分などではなかった。かといって、一人でいるのもなおつらいだろう。

 思えば、帝劇に来てからもう四ヶ月近くになる。食堂から衣装部屋までの短い距離の中にも、大神との思い出がいくつもちりばめられていた。

 戦場の大神を思いながら、薔薇組と食事の準備をした厨房。大神と初めて出会った小玄関。毎日顔を合わせ、一緒に働く職場だった事務室。

 そしてとうとう、支配人室の前で足が止まった。

ーー海軍少尉という向こうでの身分もあるけど、そのことは忘れてほしい。君もだよ、好くん。

 大神に、初めて下の名前で呼ばれた場所。「好くん」と自分を呼ぶ彼の声が大好きだった。ただ呼ばれただけで、子供のように甘えたくなってしまう、あの優しい声が。

 泣きそうになって、強く頭を振る。

(今は隊長を待たせてるんだ。急がないと)

 好は湧き上がる思い出を振り払い、小走りに衣装部屋へと向かった。

 作業台の上に置いてあったキネマトロンに出ると、画面には月組隊長・加山雄一の暢気な顔があった。

『いよ〜う、坂東。公演お疲れさん』

「お疲れさまです、隊長。今どちらにいらっしゃいますか?」

『花やしき支部だ。打ち上げ中に悪いが、今から浅草に出てこれるか? 話したいことがある』

「了解しました。どこで合流すればよろしいですか?」

『花やしきの正門前にしよう。外は雪が降ってるようだから、足下に気をつけて来いよ』

「え……」

 顔を上げて窓の外を見ると、確かに雪が降っていた。その間に、加山の『じゃあな』という声とともに通信が切れた。

 好は食堂に戻って斎藤に中座する旨を伝えると、高坂行真が演じるお約束の爆発オチと満場の拍手喝采を背に、その場を辞した。




*    *    *




 営業を終了した花やしきには、ローラーコースターの線路や観覧車といった背の高い建物が、全部真っ黒なシルエットになってそびえ立っている。その光景は、昼間の遊園地が明るくポップで無邪気な楽しさに満ちている分、かえって不気味な雰囲気を醸し出していた。しかし、好たち帝撃関係者にとっては、その静けさこそが本当の姿だという気がした。

 正門前には加山のほかに、クラレンス・伊藤と榊凛もいた。三人とも、暗い色のコートを着ていて遠目にはあまり見分けがつかない。

「お待たせしました」

 好が声をかけると、加山がギターでも弾きそうな調子で応えた。

「雪はいいなぁ〜、坂東。雪の中で傘をさせば、おまえさんでも美人に見えるから」

「なんてことを言うんですか、社長! 好さんはもともと美人ですよ!」

 加山の軽口に、クラレンスが噛みついた。そうしながらも、外では出版社の社長と社員という建前を崩さない。

 三人のうちもっとも年少の榊が、彼なりにその場を納めようとする。

「先輩先輩、社長の軽口をいちいち真に受けてたら身が持たないッス。好さんだってそれくらい理解してますから。ね、好さん?」

「……ええ。初対面の時に比べれば、社長の舌鋒もマイルドになりましたもの」

 久方ぶりに「盾の笑み」を展開すると、加山が情けない声を上げて眉を崩した。

「言うようになったなぁ、坂東も。……あのときのことは、本当に悪かったと思ってるんだぜ?」

「あら、それは初耳でした。それより社長、私に話したいことがあったのでは」

「ああそうだ。ここじゃなんだから、場所を変えよう。〆のお茶漬けぐらいは食わせてやるぞ」

 〆どころか、公演中に吐いてから何も食べてないんですけど……とは言い出せぬまま、好は三人の後をついていった。


「ここだ」

 と加山が示したのは、「本日貸切」の札をぶら下げた古い居酒屋だった。私のためにわざわざ……? といぶかる好に、彼は秘密を明かす口調で言った。

「ここも、望月グループが経営する店だ。店とは名ばかりで基本貸切の、福利厚生施設ってとこだな」

 ということは、帝国華撃団・月組の施設かと納得する。

 奥の方の席に着き、加山が店員に気心知ったふうに飲み物を注文した。

 ほどなくビールとサイダーが運ばれてきて、それぞれにグラスを満たす。サイダーは酒の飲めない榊の分だ。

「クリスマス公演お疲れさん、あーんど、メリークリスマス、乾杯!」

 いかにも加山らしい乾杯の音頭で、四つのグラスが小気味よい音を立てた。

「乾杯!」

 ビールを一気に飲み干して、加山がくーっ、と喉を鳴らす。

「し〜あわせだなぁ〜。仕事が終わって最初の一杯は、まさに格別だぜ」

 クラレンスと榊も、加山に張り合うようにグラスを空ける。

 その様子がなんとなくだが、仲のよい三兄弟にも見える。愉快で頼もしい長男が加山で、天真爛漫な次男がクラレンス、一見軽そうだが意外にしっかり者の末っ子が榊。好はその想像がいたく気に入った。

 空になった加山のグラスにビールを注ぎながら好が尋ねた。

「そういえば通信は花やしきからでしたが、何かあったんですか?」

「ああ。俺ら三人、明日っからちとヤボ用で帝都を離れるから、その打ち合わせ」

「そうでしたか。で、どちらへ行かれるんですか?」

「……それは秘密だ。まぁ、だからその前に、おまえと話をしておきたいと思ってな」

「私と?」

 クラレンスのグラスにビールを注ぐ好の手が止まった。

「帝劇組だからしょうがないとはいえ、おまえとはまともに話をしたことがなかったからな。それでいて数少ない会話も、あれとあれときたもんだ」

 加山の言うとおり、二人の数少ない会話ときたら、初対面で仮にも将校である好を軍属呼ばわりしたり、自分が帝劇を守って戦えるのか不安な好を「棒立ちで撃たれるような間抜けをわざわざ宇都宮から呼び寄せた覚えはない」と突き放すなど、ろくなものではなかった。

 だが好にとっては、それすらももういい思い出になっていた。

「そのことでしたら、お気に病まれることはありませんでしたのに」

「だってさ〜、あのままじゃ俺、ただのひどい男じゃないか〜」

「その通りでしょう。隊長は、好さんが女性だってことを忘れすぎです」

 そうクラレンスが憤慨した様子で口を挟むと、榊もそれに同調する。

「そうッスよね。鈴木さんや玉川先生には、ちゃんと女性として接してるのに。好さんのことは、半ば男扱いしてるとこあるでしょ隊長」

「おまえら〜……」

 弁の立つ二人から同時に責められ、いかに加山といえどもタジタジとなる。

 好はその様子を見て噴き出した。

「いいんですよ。隊長は必要があっておっしゃったんですから。それに、隊長に今更レディとして遇されても、隊長らしくなさすぎて戸惑ってしまいます」

「え? いやぁ……」

 言葉を濁す加山の傍らで、クラレンスと榊が「いやいやいやいやいやいや」とでも言わんばかりに、顔の前で手を振った。

「まぁその、なんだ。飲もう。今日は楽しく、な?」

 加山がなぜか焦った様子で、二度目の乾杯を勧めた。好は「はい」と微笑んでグラスを合わせた。


 そんなふうに、月組だけの小さな飲み会は、楽しく進んだ。

 帝劇ではなかなかできない軍隊の思い出話は大いに盛り上がったし、クラレンスの星組解散後の話、榊による加山の行状についての告発も面白かった。好の方でも、四つ目や小見といった、帝劇組の中でも特に個性的な月組隊員の話には力が入った。

 そうしているうちに、気づいてしまった。

 三人が、今日の舞台や花組の話題を巧みに避けていることに。

 帝劇では打ち上げの最中だというのに、そのときを狙ってこの場を設けたことの意味に。

 好は、陸軍仕込みの大声で宣言した。

「坂東好、飲みます!」

 そして、黄金色のスクリーンに映る忌まわしい映像ごと、苦い酒を飲み下す。

 なかなか消えてくれないその映像を消そうと杯を重ねるうちに、好の意識のフィルムはふっつりと切れた。



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